時間の流れとは不思議なもので、年齢を重ねると早く感じるのは何故なのだろう?
と思う。
思春期真っただ中の娘を見ていて、時間の使い方がもったいないと思う事があるのだが、ふと自分を振り返ったとき、学生の頃は時間の流れがもっとゆっくりだったように思う。全ての時間が自分のもので、その時間を持て余していた、とでも言おうか。
何か刺激的な事はないか、とかそんな事ばかり考えていたようにも思う。
それがいつしか「刺激的」な事は避けるようになり日々安泰に暮らす事を求めるようになった。
とは言え、「刺激」の種類も年齢と共に変わってきて、学生の頃の「刺激」と言えばちょっとワクワクしたり恋のドキドキだったり、ちょっとハラハラしたり、全体的にプラスの刺激だったな、と自分を振り返ると思う。が、この年になると「刺激」の分野がかわり、「刺激」とは圧倒的に面倒くさいマイナスの方向に転化するように思うのは私だけであろうか。
仕事や家族を含めた人間関係のゴタゴタ、ストレス。今私にとっての「刺激」とは、この分野が圧倒的に増える。
この違いは何なのだろうか、と思ったりするが、実際若かりし頃の刺激ばかりを今も求めていたとしたら、何というか、「こいつの頭は花畑だ、ちょっとヤバいやつだ」と近づきたくない人間に成り上がる事もまた事実であるように思う。
あっ、でもどうかな。逆に若々しくて憧れたりするのかもしれないな。
そう考えると若かりし頃の人生経験ほとんどの状態って、全てが初めてだったり未知の世界だったりすると思うのだ。
それに対するワクワクは確かにプラスの刺激と言ってもいい。
だとすれば、今からプラスの刺激を求めるには新しい「興味のある」分野を開拓せよ、という事か。
ダラダラゴロンの思春期真っただ中の娘を見ながら、ちょっとイラつく私は思い出す。そういえば私にもそんな時間があって、今思えばそれはある意味貴重な時間であったと。
自分よ、自分もそうであった事を思い出すのだ。