ゾウの見た夢

残念ながら年には逆らえないおばちゃんの独り言

スピリチュアルはお好き?

個人的にスピリチュアルな学びは必要だと思っている。

 

正直スピリチュアル、とか霊的、とかいう言葉はあまり好きじゃないけど、こう表現する他はないので。

なんと言うかさー、スピリチュアルも幅広がいし、挙句の果てに怪しいものも多いから誤解も生むんだよね。

 

私はある年齢まで宗教をやっていた、というか親が入信していたので自動的に私もやっていたんだよね。

正直子供の頃は親を喜ばせたい気持ちで一生懸命取り組んできた節があったんだけど、親から離れ、ある程度世間というものを知る事が出来るようになった頃から自分の宗教観というものが変わっていったのよ。

ただ、全てが私にとって要らないものとなったのかと言えばそれも違って、あの頃教えてもらったいくつかの事は、いつの間にか私のベースの中に組み込まれていて、考え方とか未だに役立つものもある。だからその「私の人生において役立つ考え方」みたいなものには感謝している。

世の中、どう頑張ってもどうしようも無い事って結構あるじゃない?

そんな時に自分自身を納得させ、人生に身を委ねるしかない、と思えるような考え方。

 

20代の頃、私は気持ちがフラフラしていたせいかマルチ商法や宗教勧誘に誘われる事が多かった(笑)。

銀行の待ち時間、ただ単に食と健康に関する事に興味があったので「病気を消す食事」みたいな本を読んでいたその帰りに、同じ銀行の客として来ていた女性に宗教に誘われたり、(どうやら私が病気で困っているんじゃないかと思ったらしい)

当時働いていた雑貨屋のお店に、足繁く通ってくるお客様に誘われたり。

 

で、その当時はまだ親の入っている宗教にいたから、その事を伝えてもガンガンくるのよ。不思議だよね。ダブル宗教ってありなんだろうか?

でも一度他の宗教も覗いてみよう、と思って行ってみた事もある。好奇心の塊w。

何回か通って話を聞いてみたりもしたんだけど(←それってどうなんだw)、宗教をやっている人って一生懸命な人程、基本的にいい人が多いのよ。

誰かのためになろう、困っている人を助けよう、神に少しでも近づけるになろう、そしてこの素晴らしい教えを広めなくては!!!

っていう考えが根本にあるからね~。

 

それは分かるし、すごく良いと思う!…半分は。

 

親が入っていた宗教と、好奇心で行ってみた宗教って、ベースは一緒だなって思ったの。宗教って突き詰めればベースは多分同じなんじゃないかと思う。

 

ただ、そこから派生する考え方や捉え方、決まり事が違っているってだけで。

こんな事言っている私はその宗教の方々から殴れると思うけど。

でもさ、どこの宗教もずーっと突き詰めていけばベースは一緒なんだけど、でも「自分の所が一番!そして自分の所が正解!」みたいなものを凄い持っていて、そこがぶっちゃけ面倒くさい。

で、これを持ってるから戦争も起こる訳で。

宗教戦争程バカげたものはない、と私は思う。神様も泣いちゃうよー。

ただ日本は奇跡的な国で、すごっく沢山宗教あるのに戦争にならないっつうね。日本人の気質なんだと思うけど。

 

で、色々書いたけど何が言いたいのかって、それでもやっぱり学びは必要だなって事。

私は親のやっていた宗教を辞めたんだけど、辞めた後、情けない事に心元なくなりまして。信じていものは無くなる訳ではないはずなんだけど。

ただこれは親に対する心理的なものと、どこかで「宗教を辞めたら不幸になるのでは」っという不安(いつの間にか刷り込まれていたんだと思う)からくるものだっと今は思う。

宗教は辞めた。でも自分は何かを求めている。求めてしまう。

恐らくそれは神なんだろうけどって事は今度はスピ系の本を読み漁り、講座にも参加してみたり。

でもいまいち頭では分かって感動もするんだけど、現実までそれが降りてこない。(つまり現実で使えていない)

これって何でなんだろう?って思い始めた頃、最愛の娘っちが病気になっちゃった。

凄く辛かったんだけど、今思えばそこから「フワフワしたスピ」と決別する機会にもなったのだと思う。

 

もうスピなんて知らん、ってな感じで現実を生きる決意をし、何年か過ぎたんだけど、ある時出会っちゃったんだよね。

求ていたスピ。(もはやスピ呼ばわりw)

 

色んなスピを見てきた私にとって、本当のスピとは「いかに日常的であるか」。

日常に生きていると色んな事がある。

自分の不甲斐なさに泣きたくなる時や、自分が嫌いになりそうになる位腹立たしい事、

どうしようもない不安もあれば、私が何したっていうのよー!って思う様な他人の攻撃、他人の悪意の無い悪意を受けた…等々。

そんな時にザワザワとうごめく感情にただ飲まれるだけではなく、向き合いたくない自分とただひたすら向き合い、自分を高めていく。

 

それは果てしなく地味で遠い道のりで、正直先が見えない。見える気配もないw。

でもそれでいいのだと思う。

それ位私は「まだまだ」なのだし、実際「まだまだまだ×10」なのだ。

でもね、これを始めてから私は初めてスピが日常に降りてきた感じがあって、生きる事が前より少し楽なのだ。色んな事はあるけれど。

 

そこには「私は正しい」も無いし、押し付けもない。

そこにあるのは「私自身」が求めるものであり、本当に個人的な進みでもあって、大いなる自由もある「自分次第」の世界。

私がどこまで自分自身と向き合い、神聖なるものに近づく事ができるか。

 

スピの世界はあくまで自分自身を高めるために、私にとって必要な事である事は間違いありません。