「私ね、七夕の短冊に『生きがいが見つかりますように』って書いたの」
Sさんはその施設の中でも若く、しっかりしている方だ。ただ、身体があまり動かない。
今まで歯を大切にしてきたことが分かるお口の中で、事実、ご本人も定期的に歯科医へ出向き、ご自身もこだわりを持ってケアしていたと言っていた。
「だけどね、まさか(身体が)こうなっちゃうなんて。私の親が総入れ歯だったから、私は歯を残したくて頑張ってたのよ。でも今はちゃんと磨けなくって。だからこの日(訪問歯科の日)を楽しみにしているの」
そう言ってSさんはふんわり笑う。
私が出来る事と言えば、宝石のようなSさんの歯を自分なりに一生懸命磨く事しか出来ないが、そう言ってもらえる事は、我々のような仕事をしている人にとって本当にありがたい。それこそ「生きがい」に通じる。
この仕事をしていると、色んな方に会う。
その中でハッとする言葉や考えさせられる言葉があり、冒頭のSさんの言葉もその一つだ。
「私は何のために生きているのか」
たまに聞く言葉だ。認知症の男性もこの言葉をよく言っていた。以前はバリバリに働いていた社長さんで、人当たりも良い事から、恐らく人が好きで交友関係も広かったんだろうな、と推測できる。
「生きがい」
動けなくなった身体、動きにくくなった頭、施設に入って面倒を見てもらえるのはいいが、だが人間というのは「何のために生きているのか」をいくつになっても追うものなのだと痛感する。(人にもよるが)
そして自分自身を振り返る。
私にとっての生きがいは何であろうと。
私は何のために生きているのであろうかと。
働いていたり、自分が家族の一員として機能している時はそんな事を考える暇などないが、そこから外れた時、私は自分の立場をどう位置付けるのだろう。
そう考えたとき、つくづく人間はそれがどんな形であれ社会貢献している事が(子育ても私は社会貢献だと思っている)精神的満足を得られるのだと痛感する。