久しぶりに帰省しました。
母親は2年に一回位会っていたけど、父や姉は下手すると4、5年は会っていなかったし、姉の所の子供達に至っては中高生の部活の忙しさで遊びに行ってもおらず、会えなかったりしていたから5年以上は会っていなかったかもしれない。
全員集合ではなかったものの(会えない姉の子供達もいたので)皆に久しぶりに会えて嬉しかったし、姉の子供達の成長っぷりに驚くしかなく、そりゃあ私も年取るよなあ…外反母趾の痛みも強くなるよな…などと意味不明な事をしみじみと思った次第。
さて、私の娘が「おばあちゃんの若い時の写真を見たい」というので母にお願いして見せてもらった所、もうびっくり!
私は三姉妹の末っ子で、我々三姉妹は昔からそっくりと言われ続けてきたが(姉の友達に姉と私は間違われる事が確かによくあった)、母の昔の写真は二番目の姉そのもの(笑)。
と言うことは勿論私も似ているって事なんだけど、それにしても衝撃的な写真の数々。どう見ても姉が写っているとしか思えない位そっくり。
因みに父の若い時の写真を見ると、父親の要素は確実に甥っ子が継いでいてこれまたびっくり。
はー!遺伝子ってすごい!
こうやって脈々と遺伝子は繋がっていくのかと思うと面白くて不思議で仕方がない。
勿論子供は父親と母親の遺伝子をどちらとも受け継ぐだろうからどちから片方ってわけではないが、でもこうやって繋がっていく様を目の当たりにすると、人との出会いと繋がりの壮大さにひれ伏したくなる。
だいぶ前にテレビで遺伝子の番組をしていたのだが、それが面白かったのを思い出す。
例えばある日本人の人。その人の日本人の遺伝子は100%ではなく、日本〇%、モンゴルが〇%、ドイツが〇%、トルコが〇%…というように、色んな国の遺伝子がその人を構成している事が分かり、その遺伝子検査を受けた人たちは驚き感動する、という番組だった。
その番組で面白かったのが、「自分は絶対この国の遺伝子は入っていないだろうし、そもそもこの国が好きじゃないの」という人の遺伝子に、その好きではない国が自分の遺伝子に組み込まれていて、それを知って感動してその国を認めて好きになる、と言う流れ。
偏見でその国が好きじゃない。でも自分の遺伝子にはその国のものがある。
その事実は遠く知らない、勝手に偏見を持った国に親近感を持たせるのかもしれない、そう思った記憶がある。
そう思うと私達のずっとずっとずっと遠いルーツは、国も国境も越えて思いもよらない所で繋がっているのかもしれない、と思うとこれまた不思議な感覚を覚えるのだ。
そして思う。
人間は植物の種のようであると。
鳥に運ばれたり風に飛ばされたり遠くに飛ばされ花開く種もあれば、母体(?)の周りに種を落として広がる種もある。
今も昔も遠くへ旅する人、その場を守る人といただろう。
懸命に生きた人間が脈々と繋いで今の自分がいて、自分もまたその流れの中にいると思うと、人間って何の変哲が無くとも実は壮大なんだな、と思う。