ゾウの見た夢

残念ながら年には逆らえないおばちゃんの独り言

それはいつの間に

いつの間にか3キロ体重が増えていた。

 

そもそも体重計に乗ったのが久しぶりなのだ。

何年ぶり、と言ってもいい。すぐに計れる場所にあったにも関わらず。

「多分変わっていないだろう」という勝手な思い込みと、その思い込みの隙間にある「現実を見るのがちょっと怖い」と思う気持ち。

そんなこんなで乗っていなかったのだ。

 

いやあ、まさか3キロも増えていたなんて。

年齢を重ねると代謝が落ちる、というのもあるが、そもそも動いていないという事実もある。

昨日は何となくこのままではいけない、という思いから腹筋してみた(笑)。

40過ぎて下手にダイエットするよりは、いかに筋肉をつけるか、の方が大事に思えてくる今日この頃。

美容より健康が優位に立つのは致し方あるまい。

願いと現実

約14年前に書いたブログにログインできない。

 

私は夫と約14年前に半年位の旅をした。

夫は一人っ子で、かつ夫の母は心配性の傾向があるので

自分達の無事の知らせも兼ねて旅行中にブログを綴っていたのだ。

 

今思えばそのブログは大正解で、ああ、あそこにいったなあ。

でもあの場所の名前何だっけ?

とか

あの国でこんな出来事があったように思うんだけど…

など懐かしい記憶を引っ張り出すのはいいが、肝心の名前が出てこない場合ブログを見れば大抵解決する。

が、帰国してから数か月は思い出したように書いていたものの、娘が産まれた辺りから多忙の為ブログから離れてしまい、今に至る。

 

今思えば一生懸命に書いてくれていた夫に感謝だな。

 

で、あのブログを本にしたいと思い始めて3年位が経つ。

私達夫婦にとって宝物のようなあの日々を手元に置きたいと思い始めた頃、ブログを本に出来ると知る。

これはやらねばと意気揚々と懐かしのブログにログインしようとしたのだが、パスワードが不思議な位ヒットしないのだ。

 

パスワードを変えようにもその当時登録したメールアドレスが分からない。

その上秘密の質問の答えも、違っている。

どうにもならないと思ってカスタマーサポートに連絡するも、結局はメールアドレスか秘密の質問を思い出さなくてはならないらしい。

 

もう何回もメールのやり取りをしているけれど、一行にヒットしない。

そもそもアドレスのドメインはもう使っていないもの。14年前のアドレス…。覚えてないなあ。捻りだしてるけど、悲しい位出てこない。

秘密の質問にしたって不思議過ぎる。

これしかない、という答えが違うのだ。ほんとどうなってるんだ。

 

忘れてしまった自分達に非があるのは否めないが、こんなにログインできないものだとは。厳しくなっているんだなあ。

 

ブログを本にする事を半分諦めてきている自分。

ああ、本にしたかったな。

 

脳内の世界

仕事柄、認知症の方と接する事が多いのだが

認知症の世界は時々面白いと感じる事がある。

 

認知症を決してバカにしている訳ではないし、認知症を介護する人が

どれだけ大変かは、身内を通して(完全ではないが)何となく分かる。

 

私が中学生の頃に同居していた祖父は認知症だった。

認知症になってから同居したのだが、日々色んな事があって、両親、特に母や祖母は大変だったと思う。

スローな動きで、トイレもままならないはずなのに、勝手に外に出て行ってしまうスピードはピカイチだったし、道路のど真ん中で動かなくなることもしょっちゅうだった。

祖母や私達を見て身内である事も忘れ、商売人であった祖父は私達をお客さんだと思い、接してくることもあった。

 

でも私はそんな認知症の祖父がけっこう好きだった。

私が直接世話をしていた訳ではないので、そんな呑気な事が言えるのも事実だと思う。

でも私は祖父が好きだった。

祖父の中で私達の設定がしょっちゅう変わったり、急に知らない人の名前を呼びながら私に近づいてきたり、その相手をする事に不思議な感覚を覚え、少なからず興味を持ったのは、その頃私が演劇部であった、というのも関係があったのかもしれない。

演劇部だったゆえ、祖父が設定する人物に即なりきるのは苦ではなく、むしろお芝居の延長のような気がしていたのかもしれない…と今になって思う。

 

面白がって祖父に接している内にいつの間にか祖父への接し役は私になり、道路の真ん中で動かなくなったり、畑に侵入して出てこなくなった時など、私は家族から駆り出されるようになったのだが、これまた不思議な事に、祖父は私が呼ぶと素直に応じてくれた。

きっと認知症でも「あなたが好きですよ」という気持ちは伝わるように今思う。

私の「祖父が好き」は、きっと伝わっていたんじゃないかと思うし、そう思いたい。

 

あの頃の経験が今の仕事に役立つ事があって、人生の経験っていつ何が役立つか分からないもんだ、とふと思う。

毎週会っている患者さんに「お口の中を掃除してもらえるなんて初めてだわー」と毎回言われても、毎回ケアしている舌も「舌も掃除されるなんて初めて!」と何度も言われても、素直にこちらも毎回新鮮な気持ちで「それは良かったです!」と思い続けられたらいいな、と思う。

 

今でも少しなら女優になれる(笑)。

 

 

 

心に浮かんだ言葉

人は苦労し、傷ついた分だけ、誰かの励みとなる存在になる。

ただし、それらから目を背けずに向き合い、乗り越え、それらの意味する事を自分の中に取り入れる事ができた時に。

 

人生は苦労の少ない方が良い。

そう思う人の方が多いだろう。

けれどそれは人生を終えた時、大きな損失となる。

 

立場上、誰かの世話をし続けなければならない人もいるだろう。

早々に幼子と別れを告げなければならない人もいるだろう。

大切な人が病に倒れる事や、自分が病に倒れる事もあるだろう。

大切にしていたものが、手のひらから溢れ落ちるかの様に無くなってしまう事も。

 

まるで闇の中に放り込まれた様に感じる時、もうどうしようもないと感じる時、生き地獄としか思えない時。

 

必死でもがき、考え、何とか乗り切った時、そこから見える風景は今までとは違い、そして自分自身が「削れた」分、案に相違してあなたは誰かを助ける存在となるだろう。

 

あなたは気が付かないかもしれないが、それが人々の心にどれだけの灯火をつける事になるのか。

それがどれ程あなた自身が喜ぶ事なのか。

 

この世で生きる意味の捉え方はそれぞれ。

ただし、目に見えない傷は、誰しも帰る向こうの世界では勲章となるであろう。

 

 

祈り

「昔のあなたに会いたい」

夕焼けが差し込む車の中で唐突に思いました。

 

「昔のあなたに会いたい」

それは決して仕事がバリバリできていたあなたではありません。

私が会いたいのは、あなたがあなたとして存在しているあなたです。

私は少なからず知っています。

あなたらしさというものを。

今は残念ながら、その「あなた」は眠っている状態だけれど、いつか目を覚ましてくれますようにと祈っています。

 

あなたがあなたを取り戻すのは残念ながらあなたしかなく、私ではありません。

私にも出来るかもしれない、そう思った時期があったけれど、見事に玉砕しました。

正直がっかりしたけれど、でもそうだよな、とも思いました。

 

だって私は、あなたのパートナーではあるけれど、あなたではないし、何よりあなたの人生はあなたのものだからです。

私の人生が私のものであるように、自分の人生をどう歩むかは自分で決める事が必要です。

それと同時に、自分がどうあるべきか、どうありたいか、それを決めて頑張るのもまた、自分自身である事も分かっていますし、今回の事で更によく分かった様に思います。

 

あなたの人生に対して、指を咥えてただただ傍観しているような自分が嫌だったけれど、だけど私ができる事と言えば、それに近いものです。

 

だから祈ります。

 

あなたが元気になりますように。

あなたがあなた自身になりますように。

あなたの人生が豊かなものになりますように。

あなたが愛に包まれている事に気が付きますように。

そしてどうか、あなたと共にまた楽しい時間を過ごす事が出来ますように。

 

 

 

壮大な遺伝子

久しぶりに帰省しました。

 

母親は2年に一回位会っていたけど、父や姉は下手すると4、5年は会っていなかったし、姉の所の子供達に至っては中高生の部活の忙しさで遊びに行ってもおらず、会えなかったりしていたから5年以上は会っていなかったかもしれない。

全員集合ではなかったものの(会えない姉の子供達もいたので)皆に久しぶりに会えて嬉しかったし、姉の子供達の成長っぷりに驚くしかなく、そりゃあ私も年取るよなあ…外反母趾の痛みも強くなるよな…などと意味不明な事をしみじみと思った次第。

 

さて、私の娘が「おばあちゃんの若い時の写真を見たい」というので母にお願いして見せてもらった所、もうびっくり!

私は三姉妹の末っ子で、我々三姉妹は昔からそっくりと言われ続けてきたが(姉の友達に姉と私は間違われる事が確かによくあった)、母の昔の写真は二番目の姉そのもの(笑)。

と言うことは勿論私も似ているって事なんだけど、それにしても衝撃的な写真の数々。どう見ても姉が写っているとしか思えない位そっくり。

因みに父の若い時の写真を見ると、父親の要素は確実に甥っ子が継いでいてこれまたびっくり。

 

はー!遺伝子ってすごい!

こうやって脈々と遺伝子は繋がっていくのかと思うと面白くて不思議で仕方がない。

勿論子供は父親と母親の遺伝子をどちらとも受け継ぐだろうからどちから片方ってわけではないが、でもこうやって繋がっていく様を目の当たりにすると、人との出会いと繋がりの壮大さにひれ伏したくなる。

 

だいぶ前にテレビで遺伝子の番組をしていたのだが、それが面白かったのを思い出す。

例えばある日本人の人。その人の日本人の遺伝子は100%ではなく、日本〇%、モンゴルが〇%、ドイツが〇%、トルコが〇%…というように、色んな国の遺伝子がその人を構成している事が分かり、その遺伝子検査を受けた人たちは驚き感動する、という番組だった。

 

その番組で面白かったのが、「自分は絶対この国の遺伝子は入っていないだろうし、そもそもこの国が好きじゃないの」という人の遺伝子に、その好きではない国が自分の遺伝子に組み込まれていて、それを知って感動してその国を認めて好きになる、と言う流れ。

偏見でその国が好きじゃない。でも自分の遺伝子にはその国のものがある。

その事実は遠く知らない、勝手に偏見を持った国に親近感を持たせるのかもしれない、そう思った記憶がある。

 

そう思うと私達のずっとずっとずっと遠いルーツは、国も国境も越えて思いもよらない所で繋がっているのかもしれない、と思うとこれまた不思議な感覚を覚えるのだ。

そして思う。

人間は植物の種のようであると。

 

鳥に運ばれたり風に飛ばされたり遠くに飛ばされ花開く種もあれば、母体(?)の周りに種を落として広がる種もある。

今も昔も遠くへ旅する人、その場を守る人といただろう。

懸命に生きた人間が脈々と繋いで今の自分がいて、自分もまたその流れの中にいると思うと、人間って何の変哲が無くとも実は壮大なんだな、と思う。

 

 

 

 

 

闇について考える

最近「闇」について考える。

私はキリスト教徒ではないので、私の考え(解釈)が間違っている事を前提として思った事を書いてみる事にする。

 

新約聖書にある

「神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」

という一文。

という事は先に闇があったって事だ。

何故なら闇があって初めて光と認識できるから。逆の事も言える。光の中に闇があるから、それが闇だと言うことが認識できる。

私達人間が神の一部であるならば(つまり神の「光」を持っているならば)、光りを求め、光りの方向へ行くのは自然な事。

だからこそ、闇の存在はこの人間世界においては重要になってくるのではないか、と思うのだ。

 

闇の世界を歓迎しているわけでもないし(むしろ避けたい)、闇の世界を良しとしているわけでは決してない。

 

ただ、植物の成長を眺めたとき、思うのだ。

「まずは闇の中で生まれる。それも光を求めて」

 

我が家の庭には鬼クルミの木があって、そのクルミの実で毎年お正月にクルミ餅を作る。そのクルミ餅を作る為の作業中、クルミの殻を割る事から始まるのだが、これが固くて中身を取り出すまでに手間がかかる。

で、毎年思うわけだ。

クルミの実が土の中に入り込んだ時、この固い殻をよくぞ割って根を芽を出すものだと。

私はクルミの実ではないので、それが辛い事なのか痛い事なのかは分からない。ただどの種にも共通する事なのだが、あの固い殻を破る時、人間であればかなりの痛みや苦労を追う事になるのではないのではないかと思うのだ。

その殻を土の中(闇の中)で割り、生きるための根をまず出し、よい具合に根を張った所で芽を出すために光の方向へ向かう。

 

これらの過程を人生に置き換えたとき、うまく言えないが真理を見せられたような(教えられた様な)気になるのだ。

 

よく、人生の中の辛い時期を乗り越えたとき、振り返るとその事が自分を成長させてくれた、というような話は良く聞くし、実際自分の人生を振り返った時、そうであったと思う。

ただ、その闇の中にいる時は光が見えず、そして見える気もせず、ひたすら苦しいのは確かだ。もがいてもがいて、そのもがき方が良いのか悪いのかもよく分からず、でも必死に食らいつき、そして時と共に良い意味で諦め、手放した時に光が見え始めるようにも思う。

 

もしも人生が光を求める学びの場であるならば、闇は成長の場といえるのかもしれない。自分の殻を破る為の闇。

そんな事を考える。

正直闇はあまり歓迎したくはないが。