ゾウの見た夢

残念ながら年には逆らえないおばちゃんの独り言

祈る事は無能な事だろうか。いや、ちがうだろ

あまり体調がよろしくない。

振り返るとどうも4月5月って体調が落ちる。あと梅雨の時期。

今回の場合胃腸の不調なんだけど、改めて胃の調子が悪いとお腹に力が入らず、なんとなくフニャっとなるもんだと実感。確か東洋医学の世界でもそんな事言っていたような。

原因は多分あれだ。

マーボー茄子に使った冷凍の素揚げ茄子。安いから買ってみたんだけど、やたらと油っこい感じがしたのよ。ここ最近油の消化能力が落ちてるから余計ダメージくらったんだと思う。

 

閑話休題

 

人を助けたいと思ったらそれ相応の覚悟がいるよな、と最近思う。

半端な気持ちで「あなたの力になりたい」だの「助けにないたい」だの表面サラッサラーな気持ちで手を出すと、必ずと言っていい程しっぺ返しが来る。もしくは相手を傷つける。

そもそも「助けてほしい人」っていうのはドロドロのものを背負っているから助けてほしいのだ。だからその「ドロドロ」を共有し、少しずつ少しずつドロドロを流れるようにしていく。それにはそれ相応の時間も必要だし、なかなか進まない事にいら立ちもせず、待つ姿勢も必要だ。その上、その「ドロドロ」はかなり重たい。

良かれと思った事が実は全然良くなかったり、「あなたのために」と思ってやったことが逆効果になる事なんてザラだろう。

思う様に進まなくて「やっぱり私には無理でした」なんて去る事は簡単だろう。だが、相手はどうだ?

ただでさえ傷ついているのに、更に傷つく。傷に塩を塗り込むようなものだ。

 

最近すごく思う。

 

所詮、他人は変えられないのだ。

 

変えられるのは本人だけなのだ。

 

相手を変えてあげよう、良くしてあげよう、私が導いてあげようなんてとんだ間違いで、その時点でもう間違ってるしズレてる。

本当に導く事ができる人は、それ相応の覚悟と純化している人だけだ。

 

私は誰かを変える事も出来ないし導くこともできない。

 

だからって何も出来ない訳じゃなく、私にも出来る事はある。

相手の力を信じる事、相手の人生全てを信じる事、そして相手がこの試練を乗り越えられるよう祈る事。

そして私は私の人生をしっかり生きる事。

 

祈るだけしか出来ない自分に腹が立っていた時期が最近まであった。

だけど自分が思うように全然進まないし、手出しする事は空振りに終わってその度に落胆した。

それって本当に疲れる事で、段々結局何も出来ない自分が腹立たしくて仕方が無くて、いつの間にか自分が自分を傷付け始めていた。

本末転倒だよね。

 

で、思ったわけよ。

祈るしか出来ない無能な私、じゃなくて、祈るって相手を信じる事だよなって。

相手の力を信じる事。

例え這い上がれなくても、でも信じる事。

 

相手は何も出来ないって決めつけて勝手に手を出して、その上自滅する事と、祈る事って対極だなって思ったの。

 

真剣に、心を込めて。相手を信じて。

祈るってきっとそういう事なんだと思う。